社団法人日本ポルトガル協会

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日本ポルトガル協会会長就任にあたって

                                        高野 悦子

  
  この世には思っても見ないことが起こるようです。このたび私が社団法人日本ポルトガル協会の会長に就任したことも、私には夢にも思わないことでした。

  パリの映画大学で学んでいた私が始めてポルトガルを訪れたのは、1960年の夏のこと、それは貧乏学生のつつましい一週間の旅でしたが、ポルトガルの輝く太陽、青い海、親切な人々、海産物のおいしい食事は、私の心をしっかりと捕らえました。その思いは次第に膨らみ、日本・ポルトガル合作映画「鉄砲物語」の企画となり、1965年、私は再びポルトガルに渡って、脚本作成のために1年余り滞在することになりました。

  この間ポルトガル全土を旅し、大女優マリア・バローゾさん(後の大統領マリオ・ソアレス氏夫人)、ファドの女王アマリア・ロドリゲスさん、ギターラの名手カルロス・パレーデスさん、ポルトガル映画の巨匠マノエル・ド・オリヴェイラ監督などの知己を得ました。

 「鉄砲物語」は不幸にして脚本の盗作にあい、実現を見ることはありませんでした。しかし、その時お世話になった駐日ポルトガル大使アルマンド・マルチンス博士とのご縁で、日本ポルトガル協会初代会長・柳満珠雄氏のご要請を受け、私は常任理事として協会創立に関わることになったのです。1968年4月のことでした。

  私はその年の2月来、岩波ホールの総支配人として働いていましたので、それからの私にとって、ホールと協会の仕事が最も重要なものとなりました。「鉄砲物語」のリベンジではありませんが、初の日葡合作映画はモラエスの生涯を描いた「恋の浮島」(1981年、パウロ・ローシャ監督)として結実しました。

  柳会長ご逝去のあとは、八尋俊邦会長、熊谷直彦会長のもとで役目を続けてまいりましたが、2000年に大病をし、九死に一生を得てからは長距離飛行がままならず、ポルトガルに行くことができずにいます。

 こんな病身の私が会長をお引き受けするのは、と憚る気持ちが強かったのですが、ポルトガルにご縁の深い池田昌之、清水愼次郎のお二人が副会長として、根本特殊化学株式会社社長根本郁芳、木下物産株式会社社長宮蔭雅昭の両氏が常任理事として私を補佐してくださること、そして根本特殊化学株式会社常勤監査役の松井勇氏を事務局長にお迎えするなど、強力な陣容を組んでいただきましたので、私も精一杯、日葡の友情のために働こうという決意ができました。

 思えばポルトガルに恋してから、もう46年が過ぎたのです。        (2006年10月) 

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